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Pick up 坂町機関区の歴史
 村上線中条―村上間開通に伴い坂町駅が開業したのが大正3年(1914)、第1次世界大戦勃発の年である。その後、昭和6年(1931)米坂西線坂町ー越後下関間が開通、昭和8年(1933)には坂町駅に機関車駐泊所が設置され、昭和11年(1936)米坂線全線開通となった。そして昭和13年(1938)に坂町機関区が開設され、構内は大きく拡張。村上駅が担っていた機関区機能も移管されることとなった。しかし、時代は間もなく泥沼の太平洋戦争へと突入。坂町駅も米艦載機(グラマンF6F)約10機による空襲を受け、国鉄職員やホームにいた乗客など3名の犠牲者を出す惨劇を経験する。その後の機関区は、物流の拠点として戦後の復興や高度経済成長期を支える重要な役割を果たしていくことになるが、電化などに伴い昭和60年(1985)、ついにその歴史に幕を下ろすのである。

旧坂町駅本屋正面

 昭和33年当時、坂町機関区は乗務員125名、非乗務員82名、臨時雇用員27名を擁し、貨車の仕分や編成を担った駅と合わせると、400名以上が働いていた。

坂町機関区の夜景

 照明が機関区全体を照らしている。物流の主役を担っていた貨物列車は昼夜問わず運行し、駅や機関区も24時間体制で稼働していた。線路の数は、貨車の入れ替え用も含めると14番線まであった。

扇形機関車庫と転車台

 扇形機関車庫は取り壊されてしまったが、転車台は今も健在であり、特別列車(SL)運行の際は、機関車の方向転換が行われている。扇形車庫内は線路下が掘られた構造になっており、作業員が中に入り、機関車の点検や修理作業を行っていた。



給炭中のD51

 給炭中のD51。

石炭の積込作業

 石炭の積込風景。機関士の職務は重労働が多く、労働条件の改善などを目的に盛んに組合活動が行われた。

平和記念の碑

 昭和20年7月、坂町駅は米艦載機(グラマンF6F)約10機による空襲を受け、国鉄職員や乗客など3名の犠牲者を出した。この碑は、戦争の惨禍を後世に伝え、世界の平和を願う証として、平成9年に建立されたものである。



        

D51形蒸気機関車

 黒煙をあげ疾走するD51形蒸気機関車。「デゴイチ」の愛称で呼ばれ、多くの人々に愛された日本を代表する機関車である。坂町機関区にはD51のほか9600形が配置されていたが、こちらは牽引力に優れ、主に急勾配の多い米坂線で活躍した。

給水塔

 機関車の稼働に欠かせない水は、佐々木(現松山踏切付近)にあった池からポンプで汲み上げ、使用していた。当時、坂町機関区の水質の良さは他の機関区でも評判であり、飲料水にも使えるほどだったという。

        

 

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